(ストーリー)
ロバート・S・マクナマラ。20世紀アメリカ屈指のエリートとして、政界、経済界を牛耳った「切れ者」だ。
「私は生涯を通じ、戦争の一部だった」
「私も85才だ。人生を振り返り、いくつかの結論を出してもいい頃だろう」
「人は何度でも同じ過ちを犯す。3度ミスをすれば4度目には避けられるかもしれないが、核の時代には、その論理は通用しない」
マクナマラは自分の体験を、11の教訓=レッスンと共に語り始める。
教訓1: 敵の身になって考えよ
教訓2: 理性は助けにならない
教訓3: 自己を越えた何かのために
教訓4: 効率を最大限に高めよ
教訓5: 戦争にも釣り合いが必要だ
教訓6: データを集めろ
教訓7: 目に見えた事実が正しいとは限らない
教訓8: 理由付けを再検証せよ
教訓9: 人は善をなさんとして悪をなす
教訓10: “決して”とは決して言うな
教訓11: 人間の本質は変えられない
1962年10月、マクナマラ国防長官はキューバ・ミサイル危機に直面する。閣内の雰囲気は「ソ連との全面核戦争は不可避」に傾いていた。そのとき、ソ連問題顧問の一言で、ケネディ大統領はソ連の提案受け入れを決断。核戦争は回避された。
30年後、マクナマラはキューバ首相から、「当時ソ連に核攻撃を進言した」と知らされる。
「核戦争を回避できたのは、ただ運が良かっただけのことだ。同じ危機が今もあるのだ」
「人類は殺戮や紛争についてもっと真剣に考えなければならない。21世紀にも、同じことを繰り返したいのか?」
マクナマラが2才のとき、第一次世界大戦が終わった。世界大恐慌のまっただ中、大学に進学。経営管理の研究で頭角を現し、当時最年少でハーバード大学経営学大学院助教授になる。結婚、第一子誕生……その未来は順風満帆に見えた。
そこに、第二次世界大戦が始まった。マクナマラは経営管理の理論を戦争に応用。攻撃効率を高めるため、統計を取り、分析する。だが彼の報告書を元に、日本に無差別絨毯爆撃が行われた。指揮官は後に広島・長崎に原爆を落としたカーティス・E・ルメイ少将。
「勝ったから許されるのか? 私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」
戦後マクナマラはフォード自動車会社に入社。会社の業績を上げ、社長にまで昇りつめた。
その頃、最年少の米国大統領が誕生した。ジョン・F・ケネディ。入閣を求められ、マクナマラは国防長官に就任する。それは素晴らしくも、悪夢の日々の始まりだった。
ケネディ大統領はベトナム戦争への対応に苦慮する。攻撃拡大を主張する軍部を抑え、大統領とマクナマラは、ベトナムから米軍を完全撤兵する決断を下す。しかし1963年11月ケネディ大統領暗殺・・・葬儀を回想する老マクナマラの目が、涙で潤んだ。
昇格したジョンソン新大統領は、逆に戦争拡大を決意する。大統領選を有利に戦うため、大統領はマクナマラに、拡大の事実を国民に隠す命を与える。トンキン湾事件を機に、北爆、地上軍派遣と、アメリカはベトナム戦争の泥沼に脚を踏み入れてゆく。
31年後、マクナマラはベトナムを訪れ、トンキン湾事件の真実を知り、唖然とする。
「ベトナム戦争は避けられたのではないのか?」
「キューバ・ミサイル危機のとき、アメリカ政府はソ連の立場に立って状況を見ることができたのに、ベトナム戦争ではそれができなかった」
1967年11月、マクナマラは国防長官を辞任した。
|