| 「千と千尋の神隠し」完成報告記者会見
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(司会者)
それでは、早速ではございますが、ご質問を承りたいと思います。
(質問1)
日本人だけでなく日本に来ている外国の方もこの映画を凄く楽しみにしていると思いますが、その方々にどのようなところを観ていただきたいですか?
(宮崎駿監督)
ビデオが出るのを待たずに、テレビでやるのを待たずに、是非、映画館に観に来ていただきたいと思います。ちょっと映画の代金は高いのですが、よろしくお願いします。
(司会者)
なんだかプロデューサー的な発言の監督ですね。
出演者の皆様もお願いします。
(柊瑠美)
全てなんですけど、どれか一つといわれたら、千尋が一番最初と最後で全然顔が違ってて、成長しているというのを声でもがんばったので、観て欲しいです。
(久石譲)
作品自体が世界共通語で出来ていると思いますので、各国の色んな訳で観ても、おそらく日本人としての心情ではなくて、世界中の子供の10才の気持ちがおそらく出てると思うんですね。だから素直にその通りに観ていただければいいのではないかと。監督に成り代わり・・・
(菅原文太)
釜爺は、宮崎さんの分身なんだろうと思って、自分がやりたかったのかな・・・って。(会場笑い) なのに俺を指名したのかなって感じで。きっと古い良き日本人の男として釜爺で優しさを、怒鳴り声でしか表現できない日本人の男っていうのを表現したかったのだろうと思いながらやりました。
(司会者)
監督、今、菅原文太さんからこの役は監督自らがやりたかったんじゃないかという意見がありましたが、実際のところはどうだったんでしょうか?
(宮崎駿監督)
いや、そうではないんですが、この中に「世の中愛だ、愛」って、愛っていうことを信じてる人が釜爺なんですね。そういう話をしましたら、隣にいる柊さんが「ククク」と笑いましてね。それを録音スタジオでも話しまして、その「愛だよ、愛」っていいなぁって。「『愛の力だよ』って台詞をちゃんときちんよ言ってくれるのは菅原さんだけだ」とプロデューサーが言うもんですから。それがお願いした理由です。
(質問2)
スパーヒーローではない普通の女の子が主人公なのですが、今までのドラマ作りと違う点があったと思うのですがどうでしたか?
(宮崎駿監督)
グズなんですよね、その女の子が。私の知ってる女の子たちもグズなんですけど、実際の時間でやってみると何時間やっても絵が進まないんですよ。それで止めてもらいましたけど・・・
そのグズにくっ付いていく映画ですからね、これはイライラしましたよ。作ってる方がイライラするんですよ。階段をノロノロ降りていく時にですね、これをずっと降りていったら絵がそれで終わっちゃう・・・途中でしょうがないから羽目板をはずして。そのまま落っこってしまうと映画は終わってしまうし・・・
(質問3)
カオナシのようなユニークなキャラクターのアイデアはどのようなところから発想されるのですか?
(宮崎駿監督)
カオナシはですね、忘れもしない、去年の4月の終わりのこ頃だったと思うんですけど、絵コンテを描いている時にひらめきまして。
実は2月から作画に入っていたわけですけど、休みの日にスタジオに行きましたらちょうどプロデューサーと作画監督と演出監督とがいまして、それでちょうどいいやと思いまして、4人で集まってもらって、僕はこの映画がどこまでいくかとストーリーの説明をしたんです。そしたらプロデューサーが聞き終わってから「これ、宮さん3時間かかるね」って。僕も3時間かかるなと思ったんです。3時間半くらいになるんじゃないかって。プロデューサーが「公開1年延ばしますか」って真面目な顔して。
これは彼のいつものことなんですけど、それは伸ばしたくない。それで、話を変えなきゃダメだと。
今までのタイトルはあるわけですからそこは変えられませんから。その時にすでに作画は終わってたんですけど、たまたま橋を渡ってるときに変なお面の男が横をスーッと横切ったっていう、あれを使おう!って。これがカオナシの始まりだったんです。
こういうキャラクターを出そうと思って出したわけではなくて、たまたま橋のたもとに立っていたことから始まったキャラクターなんです。それがもともとで、無理矢理ストーカーになってもらったんですけど。
プロデューサーは僕のいないところで「あれは宮さんの分身だ」とか言ったらしいんですけど。
(司会者)
ひょたんから駒というか、思いがけないところからキャラクターが生まれて成長したということなのですか。
(宮崎駿監督)
成長したかどうかは・・・ただ、手間がかかるキャラクターで。表情ないでしょ。それなりの表情を体で出そうとするのだけど、手間がかかった割りに存在感があまりなくて。本当に困ったキャラクターです。
(質問4)
解説で「漫画やテレビやアニメーションがなくても子供たちは生きていける」と書いてあるのにアニメーションを作っている矛盾は?
(宮崎駿監督)
子供時代を充実して過ごせる位の空間が周りにあったら、子供たちはもっと深くなれると思うんです。
あるアメリカの青年と話をした時に、彼は最新式のコンピューターグラフィックスをやっている青年でしたけれども、「僕の母親はテレビに箱をかける人で、見ようとするとパッとテレビに蓋をする。見られなかった。たまに見れる時にドキドキして見た。映像に対して自分がドキドキしたから、そのおかげで、今、こういう仕事をしている。映像の力を自分は信じている。」といってたんですよね。これは、正しいと思うんです。
こんなに周り中、テレビゲーム、漫画、アニメがひしめていて、こっち見ろこっち見ろって。多分次の映像の世界に入っていって、「あ、それテレビで見た」「あ、それ映画で見た」ってそういう、或いはケンカも何もかもテレビゲームでやってみたとかね。やった気になっているという、そういう文明のあり方をどっかで決死決済付けようかなと。予言をしてもしょうがないですから。それでいてこういう映画をやっているわけですから、ジレンマを抱えながらやっています。
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