(質問7)
次の作品について。
(宮崎駿監督)
なんせもう凄い老眼ですから。思ったことがすぐそのままできるわけではありません。
ただ構想は色々持っていますが、どれを選ぶかっていう話はきていますが、それは何も自分の意志だけではなくて色んな条件の中で決まることですから。
一つの例を挙げますと、「もののけ姫」の企画を選択するときに全然違う企画を考えていて、それを若い奴に話したら「それをやるんですか」と言われたんで、その声を聞いて「じゃあ止めよう」っていって「もののけ姫」になっちゃって。やっぱり、その時のスタッフの気持ちなんかも反映しないとできないから。
人間ばかり書いていると別のものが書きたくなって、別のものばかり書いていると人間が書きたくなって。そこも考えています。
(質問8)
日本のアニメ文化のあり方について聞かせて下さい。
(宮崎駿監督)
僕が学生、高校生の頃は漫画を読んでいる奴はバカだと言われました。それで、だいたい中学になるころには漫画を卒業していましたね。
だいたい卒業していくもんです。卒業したくなる前後に漫画の悪影響から子どもたちをどうやって守るかが小論文が出てきました。その頃は大人が成功していたんですよ。
その直後にプロデューサーの世代ですけど、「少年サンデー」を持って大学に行くようになる。
それがサラリーマンになっても電車の中で漫画を読むようになる。
もちろん、テレビが出てきたときにテレビの悪影響はさんざん論じられました。
その後、実にみんな弱気になって、ゲームが出てきたときには、ゲームに理解を示さない奴は時代遅れじゃないかっていうくらいにだらしなく対応しましたよね。
今は新聞がテレビゲームが何台売れたかを嬉しそうに発表してるでしょ。
その結果、日本の子供たちはどういうことになっているのかっていうことだよ。
僕は確かにビデオを売ってます。
そうすると、ことあるごとに「あまり見せないで下さい」と言っているつもりなんですが、「うちの子は一日に三度は必ずトトロを観ます」とかね。その五時間の間にその子が本当ならどれだけの体験ができるのかってことですよ。
トトロに抱きついて、漫画にキスしても何も学ぶことはないんですよ。そこまではトトロのパッケージには書けないけど・・・
そんなことやってて子どもがまともに育つはずないんだよね。そりゃ、人も殺すしバットでも殴るよ。
そんな当たり前のことがなぜできないんだと、思うんです。
それはですね、表現の制限になってしまうとまた違う問題に発展してしまうし、個人個人の過程や大人に任されちゃうんですよね。
電車に乗ってね、出かけていってね、お母さんは携帯で電話して、子どもは横でゲームしている。そんなだらしなく、どうなっちゃったんだろうって思います。
それはその人がだらしないんじゃなくて、その人の親、その人の親の親がだらしないんです。
日本語も使えないのに英語を覚えさせられて、火もつけられないナイフも使えないのにパソコンのキーだけ押せるようになって。そんな民族が健康に生きていけるわけがないじゃないですか。
これはね、一軒の家庭でやろうとしても無理なんですよ。
なんとかして地域で子どもたちの育て方や子どもたちの感覚がバランスよく発展する事が出来る空間を作らなきゃダメ。それを通常のコスト計算でやっていったらできっこない。
僕らが家を売ったり買うときに縛られているコスト計算のまま子どもの空間を考えていったら、この国はますます不良債権を積み重ねていくだけだと思います。それが一番この国の大きな問題だと思うんですよ。
株価がどれだけ上がったかなんてどうでもいいんです。子どもたちが元気かどうかってことです。
本当にそういう意味では、僕らは映画を作って三十数年やってますけど、喜ばれれば喜ばれるほど「ビデオにしよう」って話が出てきて、本当にジレンマです。
(質問9)
以前、ナショナリズムを追及するほどインターナショナルということを仰っていたのですが、ヨーロッパの次にアメリカの子どもたちに見てもらいたいという気持ちはありますか?
(宮崎駿監督)
ナショナリズムとナショナルとは全然意味が違うんです。
ナショナリズムというのは民族主義ってことでありまして、それはバルカン半島で血を流してナショナリズムを制したんです。僕はナショナリズムで映画を作りたいとは思いません。
自分たちの固有なものや、自分たちの古い意識の底に眠っているものも含めて映画を作らなければならないと思っているのであって、それは地域的なものです。
でも地域的なものをちゃんと作らないと国際的なものは通用しないから。
英語しか喋れない日本人は世界で通用しませんよ。
そういうことで、僕は映画をずいぶんよく分からない国を舞台に作らざるをえなかったんですが、やはりナショナルなものを土台にしてちゃんと映画を作らなければいけないってことは常日頃から感じています。
子どもたちがどれだけ喜んでくれたかっていうのが実際に見てみなければ分からない。
日本の映画会社よりヨーロッパの映画会社のほうが大切だとか、アカデミーが大切だとか思ったことないです。映画会社に向けて映画を作っているのではなく、僕らは子どもたちに向かって映画を作っている。そのことは踏み外しちゃいけない。
勲章をもらって喜ぶなんてことにはなりたくないと思っています。
それは認められたことではないです。
(映画祭は)認めてくれたかもしれないけど、ヨーロッパの子どもたちが認めてくれたことじゃないです。
観客はそれぞれ、自分のお金を払って、自分の時間を潰してその映画を見るに値したかどうかを判断してもらうしかないんだと思うんです。
ただこういうことで、先入観で見なかった人も見てくれるチャンスは増えるかもしれないと思います。
ジブリ作品は皆さん色々な形で応援してくれていると思うんですけれど、ジブリの作品は大きなテーマとしてはその時代その時代を生きる子どもたちへの励ましだと僕は思っています。
そういうことでは、この日本の子どもたちのために映画を作ってきたつもりです。
それが結果として世界へ出て行って、またいろんな人に見てもらえる。これは嬉しいことだと思います。
それで、アメリカだとかヨーロッパだとかで配給その他をまとめていますが、日本の子どもたちの為に作った映画が世界の子どもたちに見てもらえるのか知りたいと思います。
(質問10)
金熊賞の意味は?
(宮崎駿監督)
ベルリン国際映画祭の主催は一体どこなんだろうって思って、いろんな人に聞いてみたら分からないんですね。それで調べてみたら、分かったのが実はドイツ連邦共和国だったんですね。
それで、あるところが実際にやっていて、そこがベルリン市と協力してやっていて、ベルリン市の紋章が熊である。
僕はベルリン国際映画祭は二度目だったんですけど、前回と会場が違うんですよ。
ブランデンブルグ門から歩いて15分くらいのところに会場があったんですけど、東ドイツ側に新しい会場を作ったんですよ。それで、ある方に写真を見せてもらってんですけど五年前は本当に野原だったところなんですよ。野原だったところに会場を立て、ホテルを立て、ベルリン国際映画祭の会場にしているんだと。
そういうことで、僕は前回行ったときも何ヶ所か回って歴史を感じさえる国なんですけど、そういう形で国際映画祭が出来ているっていうのも感慨深いものがありました。
(記者会見終了)
|