(戸田奈津子)
暮れ頃に「こういう映画がきますよ」って言われて、作品を見まして、初めて「こういう映画か」って思いました。
その前に「グット・ウィル・ハンティング」という、「小説家を見つけたら」と同じ監督が作った好きな映画があったのですが、それに似た路線の、同じ感動的な、若者、或いは若者を拒絶する者という、非常に誰もが日常直面しているテーマの映画で、「グット・ウィル・ハンティング」に劣らない、とても感動的な映画だということが分かりまして、暮れにコツコツ(字幕作りを)やっていたわけです。
いつも私たちの仕事というのは、次から次へと新しいものにどんどん急げの一点張りでやっているわけなのですけども、暮ればかりは世の中がストップしますから、その「急げ」と言う人もお休みしてどっかに行っちゃいますので、誰にも催促されずに、少なくとも一週間、家でその作品と取り組めるわけなのです。
暮れの作品はいつも楽しくて、大抵あの頃の時期はいい作品がくる時期なんです、暮れっていうのは。
と、申しますのは、向うはアカデミー賞だとか、とてもいい作品が沢山出るということになっていまして、それが日本にくるというので、大抵暮れの作品というのは素晴らしいものが多いんですね。
ですから、「あの年の暮れはあれ」っていうくらい、暮れの作品でその年のけじめがつくみたいな、印象的な作品が多いです。
ですから今年のお正月は、このショーン・コネリーとこの黒人の青年の話で、非常に、友情というのでしょうか、年齢はとても離れていますけど、年齢を超えた人間と人間の話をじっくり見ました。
私は役者じゃないですけども、頭の中はいつも役者をしているわけです。それでないと台詞を作れませんから。
与えられた英語の台詞がありますが、それを、その時点、その場面におけるその人の気持ちになって頭の中で日本語に移していくそういう作業をしていますので、ずっとお正月はこのショーン・コネリーと青年、そしてクローフォードという先生が出てきますけども、そういう主だった色んな人の気持ちになってドラマを作っていたわけです。
字幕的にうんちくのある内容があって、難しい部分があるのですけども、とにかく舞台がブロンクスというアメリカのニューヨークの、「ブロンクスには行ってはいけません」と言われるくらい怖い地域とされている地域のお話でして、住人はほとんどスパニッシュとか黒人とかそういう方たちが住んでいるので、言葉も非常に乱暴ですし、汚いですし、アクセントも少し違うわけですね。
そういうところはちょっと字幕的には苦労する、つまりそういう黒人の台詞は「Hi!Man!」と何に対してもmanとつけますでしょ。二言目にはすぐmanとつけて、でもただの間投といいましょうかリズムをつけるための言葉なので映画でとてもよく耳に入ってくるのですが、この映画を見ると今やブロンクスの若者たちはmanなんていわないんです。多分流行遅れなんでしょうね。
言葉はどんどん変わりますから、最近の流行はmanの変わりにdogと言うんです。これは聞かれると分かります。何でもdogと言うんです。男が犬になっちゃったんですね。
その「dog,dog」と連発するのですが、普通なら(字幕の)台詞にdogと付くと日本の方は「えっ!?」って一瞬なんのことかと、映画を見ている意識をとぎれてしまう。これはいけないことなです。でも、今回はショーン・コネリーのキャラクターが子供たちの使っているdogという言葉を彼が(後で)耳にピックアップして彼が冗談で使うわけです。
見ればわかります。あまり見る映画の内容は言いたくないんですけど、とにかくそういう場面がありまして、ショーン・コネリーがdogと言う。それはやっぱり最初の方のdogを生かしておかないとそのジョークが通じないわけです。そういうことがとてもとても大変で、不自然でなくそういうこともお客様に分かるように、ショーン・コネリーが彼も打ち解けてそういう言葉を発するようになったんだとキャラクターの変化を表す台詞でもありますので、そこら辺が難しかったかなという風に思います。
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